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考える前に何を考えるのかを考えるのが大事、という話

なんだか、早口言葉みたいなタイトルになってしまいましたが、解決策を考える前に「問題の定義」をしっかりするのが大事なんじゃないか、という話です。

結論

解決策を考えるよりも何が問題なのかを明らかにするのが大事だと思う

 

アインシュタインの名言

地球を救うために1時間の時間を与えられたとしたら、

59分を問題の定義に使い、

1分を解決策の策定に使うだろう。 

諸説あるようですが、問題定義に関するアインシュタインのとても有名な言葉です。

ビジネス書などで、一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。

 

 よくある風景

会議で参加者が侃々諤々、意見を言い合った後に「そもそも、何が問題なんだっけ?」という話になって、会議が振り出しに戻ったことないですか。

解決策を出すには出したが、何かピントがずれた解決策になってしまって「なんでこの解決策で問題が解決するの?」という話になったことないですか。

 僕は稀にこのようなシーンに遭遇します。

 

大事なことをおろそかにしていないか

なぜこんなことが起こるのか。

それは「問題の定義」を曖昧にしていることに尽きるのではないかと考えます。

 

「そもそも、何が問題なんだっけ?」というような流れになる会議は、問題だと思っているものが単なる事象でしかなく、事象を解決しないといけない問題というレベルまで掘り下げられていないためにおこるものだと考えています。

つまり、事象を問題だと勘違いして、もしくは深く掘り下げることから目をそらしているだけなのではないかと。

  

急がば回れ

アインシュタインは、「問題の定義」に与えられた時間の大半を使うよ、といっていますが真剣に問題を定義しようとすると意図的に時間を費やすのではなく、結果的に費やさざるを得ない、というのが実感です。

問題を解決するには、表面に現れている事象から事象を発生させる原因となる要素を洗い出し、複数の要素から影響度の最も高いもの(=事象の解決に最も影響のある要素)を特定し、それを解決する複数の解決手段を考え、最も有効なものを選定する、といったアプローチを採用することが多いと思います。

この一連のアプローチの中で「問題の定義」を行うことになりますが、深く考えられた問題は、すでに解決策と表裏一体といったレベルまで落とされていることになります。

アインシュタインが1分で解決策を策定する、といっているのはほとんど解決策になるレベルまで問題の定義を突き詰める、といっていると僕は、解釈しています。

 

どうすればよいか

解決すべき事象が特殊なものや新規性のあるものでない限り、改めて「問題の定義」を確認するようなことは少ないのではないか、と思います。

ただ、「問題の定義」をいい加減に扱うのも危険。

僕は、少し面倒でも「思考の過程を見える化する」というのが、地味だが確実な方法ではないかと考えます。

 

まとめ

いきなり解決策を考えるのではなく、まず何が問題なのかを明らかにすること。これが問題解決の近道であり、王道だと考えます。

忘れがちですが「問題の定義」を常に意識したいですね。

 

今回はこのくらいで。