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議論に勝つことはむしろ負けではないか、という話

議論に勝つことは好きですか。

確かに腹が立つ相手に対しては「言い負かしたい」と思うこと、ありますよね。

youtubeに有名文化人が論破されている動画がアップされていたりしますが、これもなんか賢そうなことを言っている人が言い負かされている姿を見ると、スカッとするといった心理の裏返しなのかなとも思います。

ただ、僕は仕事において議論で勝つということは、いいことはなくてむしろマイナスの面しかないと考えます。今回は、議論に勝つのは、勝ったつもりで実は負けているのではないか、ということを話します。

 

言いたいこと

  • 仕事では自分の考えを相手に理解してもらい、納得してもらったうえで自分の思うとおりに動いてもらうことが大事
  • 議論で勝つことは単なる自己満足。相手には不快感しか与えず、こちらの思うようには動いてもらえることはない

 

論理思考の誤解と本質

論理思考を身に着けることの重要性は言うまでもありません。

ただ、論理思考の使い方を誤っていないか、ということを再確認すべき人もいます。

 

論理的に考えられる人は、会議で強いです。

論理で逃げ道を塞ぎ、矛盾を突き、論破する…。稀に相手がかわいそうになるくらい責める人もいます。

 

ただ、論破した相手は、目標を共にする人であり、協力していかなければならない人だったりします。論破された人も人間です。たとえ相手の主張が正しいと頭ではわかっていても、自分を攻め立てた人に積極的に協力しようとは思わないでしょう。

 

僕は論理思考の本質は、相手を納得させることにあり、心底納得させることによって相手にこちらが思うように動いてもらうようにすることだと思っています。

なので、相手と議論して勝つことは、本質的に求めていることから最も遠ざかる行為であり「負け」ではないかと考えています。

もっというと、相手と議論して勝敗をつけないといけないような場面になったこと自体、自分が誤った選択をしたことの結果なのではないかと考えます。

 

まとめ

会議で論理的な矛盾があったり、論点の整理がおかしかったりするとどうしても論理矛盾をついて、正論で言い負かしてしまいそうになることがあります(僕は、仕事ができるほうではないので、もちろん逆の場面も多々あります。)。

このようなときは、決して責めるのではなく、気付かせる、ということを心掛けて話をするようにしています。気づきは納得につながりますから。

ただ、期待する若手などに対しては期待の裏返しとしてどうしてもきつく当たってしまうことがあります。いった本人は覚えていないのですが、言われたほうが結構覚えているものですから、気を付けないといけないな、と毎回反省しています。

常に感情に流されることなく、本質を見失わずに行動したいです。

 

今回は、このあたりで。